〜法制化を見送った厚生省〜
カルテ開示をめぐる議論がかみあわない理由
医療情報の公開・開示を求める市民の会
事務局長 勝村久司
【厚生省医療審議会の最終日】
「会長!この時間を借りて一つお聞きしたい。私は大阪から来た者ですが、大阪市では3年以上も前から、条例でカルテ開示を認めているんです。ご存じですよね。自治体が条例に基づいてカルテ開示をする例は全国に広がっています。どうして、国がカルテ開示を法制化できないんですか。」
99年7月1日、厚生省7階の特別第一会議室。その片隅のパイプ椅子3列分にぎっしり詰まった傍聴者の一人が、突然立ち上がって質問した。3年半前に、大阪市の個人情報保護条例に基づいて全国で初めてカルテの全面開示を受けた岡本隆吉氏だ。よく声が通る彼の鋭い視線の先には、厚生省医療審議会会長の浅田敏雄氏が一番奥からこちらを向いて座っている。
この浅田会長が「僕も最初は法制化かな、と思ったんだけど、まあ、医師会の方も努力するということですので、この辺で議論を打ち切りましょう。大臣が来ますので皆さん少し待って下さい。」と話した直後の出来事だった。
「どうして法制化できないんですか。」
「答えて下さい。」
「答えて下さい。お願いします。」
次々に立ち上がったのは、前日に長年に渡る民事訴訟の判決がようやく言い渡されたばかりの富士見産婦人科病院被害者同盟の人たちだ。審議会事務局の厚生官僚が、質問を続ける岡本氏の背後に駆け寄り、「やめて下さい。出て行ってもらいますよ。」と小声で何度も繰り返している。少し遅れてきて端に座っていた大阪HIV訴訟原告団長の花井十伍氏も立ち上がって、浅田会長の顔が見える位置に移動してきた。私も、前が見えなくなって立ち上がった。傍聴者から直接に質問を受けた浅田会長は、少しにやにやしながらも視点を定めず口を真一文字に閉じていた。
傍聴席の大部分を占めていたマスコミ関係者がざわつき始める中、宮下創平厚生大臣が会議室に入ってきた。浅田会長から、その日の議論を始める前に既に用意されていた医療審議会の報告書が手渡される。そこで時間は止まり、その間に次々とフラッシュがたかれた。
この日のちょうど2年前の97年6月25日、厚生省はそれまでの非開示方針を180度転換させて、本人や遺族から請求があればレセプト(診療報酬明細書)を開示するよう、全国に通達した。(注:レセプト開示に至るまでの経過は「レセプトを見れば医療がわかる(メディアワークス)」の中の「ドキュメント厚生省交渉」をご覧頂きたい。)続けて、その2週間後(97年7月10日)に厚生省は「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」(座長 森島昭夫・上智大法学部教授)を設置した。検討会設置にあたって、事務局の厚生官僚は「カルテを開示するか否かではなく、どのようにカルテを開示していくかを検討してもらう。」と語り、11回の議論の末、翌年(98年6月18日)に「カルテ開示の法制化」を提言する報告書をまとめた。
それを受けて、その年(昨年)の12月から、医療審議会の医療法改正に関する議論の中で、このカルテ開示問題が取り上げられていたのである。
この間に、カルテ開示を求める国民の世論は非常に高まっていた。「情報公開」の時代の流れは、ようやくこの資本主義社会が、消費者である市民を中心とした本当の意味での民主主義社会へと成熟していく過程である。医療界でも「レセプト開示からカルテ開示へ」と進んで行くのは、必然の流れであった。新聞の社説も次々とカルテ開示の法制化を訴えた。
朝日新聞 5月26日 社説「カルテ開示、法制化の早期実現を」
毎日新聞 6月10日 社説「カルテ開示、法制化に踏み切る時期だ」
読売新聞 6月19日 社説「医療の透明化目指すカルテに」(この社説は、「長期的視点に立てば、法制化して国の責務として推進する方が望ましい。」で締めくくられている。
東京新聞 6月22日 社説「カルテ開示、法制化で患者参加を広げよ」
主な新聞社がこういう調子で、地方の新聞社もこれに続いた。
決してマスコミが突出していたわけではない。読売新聞社が6月19日、20日に実施した全国世論調査の結果(読売新聞7月4日紙面)では、82%の人がカルテ開示法制化に賛成している。
ところが今年の7月1日、医療審議会はカルテ開示法制化を見送ることを決定し、冒頭に書いたように、その報告書を宮下厚生大臣に手渡したのである。
【法制化をめぐるこれまでの動き】
2年前に設置された「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会」で最初に危惧されたのは、「がん患者や精神病患者への開示をどうするか」だった。しかし、検討会委員の埼玉県がんセンター・武田文和総長や、同じく委員の国立精神・神経センターの高橋清久総長などの経験に基づく意見から、がんや精神病であっても特別扱いしない方が、患者にとっても医療者側にとっても利益があることが確認された。
それを受けて、その後の検討会の論点は、レセプト開示や地方自治体の取り組みで既に始められている「遺族への開示」の問題と、「カルテ開示を法制化するか、指針(ガイドライン)にとどめるか」の二点に絞られていた。その両方に強硬に反対する、宮坂雄平氏(日本医師会常任理事)らと、何とか法制化を実現したいと考える森島昭夫氏(座長)らとの意見が対立する中で、最終的には多くの妥協の上で報告書がまとめられた。
要するに、「法制化の提言」は残したものの、「遺族への開示については検討しなかった」と問題を先送りし、さらには、「カルテ開示は開示に耐えうる環境整備が整ってから」「当面はカルテそのものではなく別の代替文書の作成交付でよしとすべき」「カルテ開示の不履行に対して罰則などの制裁を課すべきでない」「カルテ開示を求めても応じないなどの、苦情や紛争処理については医師会などに処理機関を設置することが望ましい」等々、日本医師会に「法制化」を飲ませるために数々の妥協がなされたのである。(詳しくは「いのちジャーナル98年10月号「カルテ開示の骨抜きを謀る医師会の勘違い(勝村久司)」をご覧頂きたい。)
したがって当時の新聞は、検討会報告書の「カルテ開示法制化」については評価しつつも、その内容の甘さに首をかしげる論調となった。特に、遺族への開示問題を先送りしたことへの批判は強く、昨年の12月の医療審議会の場で、この検討会の提言が初めて報告された際にも、事務局の厚生官僚が「カルテ開示を医療法改正の中でどのように盛り込むかと共に、検討会では議論の対象と成らなかった遺族への開示の問題についても議論していただきたい」と話すに至った。
しかし、医療審議会の議論は思わぬ方向に進んでいく。内容に関する多くの代償のによって、何とかまず実現しようとした「法制化」そのものが、日本医師会の委員らによって白紙の戻されようとしていったのだ。
医療審議会は、任命された35名の委員(いつも10名程度が都合により代わる代わる欠席している)が、事務局の厚生官僚が作成したたたき台をもとに議論を交わす。カルテ開示の問題では、「法制化すべき」「遺族にも開示すべき」と再三丁寧に意見を述べた大熊由紀子氏(朝日新聞論説委員)らと、「法制化は必要ない」「遺族への開示は裁判を増やすだけだ」と、聞く耳を持たず反対意見を繰り返す宮坂雄平氏(日本医師会常任理事)らの間で激しく意見が対立した。しかし傍聴していると、法制化に反対する側の意見はほとんど何を言っているかわからなかった。それは極めて当然の正論を無理に否定しようとするための論理の崩壊によるものだ。詭弁に気付いていないのか、気付いていてもわざと言い続けているのか。いくつかの発言には、「理由はともかく法制化には反対なんだ」「私はとにかく日本医師会の味方なんだ」と言っているだけのような感じさえ受けた。
そのような中、「日本医師会が、また自民党の大物議員を動かしたようだ」「厚生官僚達は、長年議論を積み重ねてきた薬価の参照価格制導入の白紙撤回に続いて、カルテ開示の法制化も、日本医師会の政治力につぶされそうで、無力感に浸っている」等の噂話も聞こえ始めた。
【どうして議論がかみ合わないのか】
そしてついに、公開の場の議論が平行線をたどる中、6月23日の医療審議会で、カルテ開示法制化を先送りする内容の報告書原案が事務局から出された。
「・・・国民の健康・医療に対する関心の高まり等に応え医療従事者と患者の信頼関係を確立していくとともに、治療における患者の積極的な取り組みを促し治療の効果を高めていくためには、診療情報の提供・診療記録の開示についての考え方を医療従事者、患者の双方が社会的規範として共通に認識していくことが重要である。今後こうした共通認識が幅広く定着していくことが求められる。
そのための方策として、診療情報の提供・診療記録の開示について法律に規定することが考えられる。これについては、こうした共通認識を患者・国民の側に明確にし、患者自らがより適切な医療を選択していくことができるよう、早急に法律に規定するべきであるとの意見と、医療従事者の側の自主的な取り組みに委ねるべきであり、法律に規定するべきものではないとの意見があった。
この方策の取扱いについては、今後の患者の側の認識、意向の推移、医療従事者の側の自主的な取組み及び診療情報の提供・診療記録の開示についての環境整備の状況を見つつ、さらに検討するべきである。・・・」
時代の流れに逆行するこの結末を、当然ながら翌日の新聞各社は激しく批判した。例えば、朝日新聞では「カルテ開示法制化先送り。『後ろ向き』市民に落胆」という見出しで、「カルテなどの診療記録の開示を法制化することを実質的に見送る内容を盛り込んだ医療審議会の意見書案が23日、明らかになった。その内容を知った市民団体からは落胆の声が聞こえる。医療関係者が委員のほとんどを占める同審議会に、患者側、市民側の声が届くのか。・・・」と続けられた。読売新聞では「『後ろ盾』欠くカルテ開示、自主努力強調するが・・・」という見出しで、「両論併記となった医療審議会の報告案は、カルテ開示が動き始めたわが国で、依然、医師と医師以外の人たちとの意識のギャップが大きいことを浮き彫りにした。・・・」と続けられた。(しかし、その次の7月1日の医療審議会で、ほぼそのままの形で報告書が厚生大臣に手渡された。)
厚生省の検討会が1年間かけて法制化提言をまとめ、それをどのような形で進めていくかを議論すべき医療審議会が法制化を見送った。したがって、この決定には、検討会の座長の森島氏も、「検討会の提言と別の結論を出すなら、なぜ検討会の提言が取り入れられないのかを国民にわかる形で説明してほしい」と不満をあらわにしている。日本医師会からは、宮坂氏が検討会でも審議会でも委員に名を連ねている。検討会では法制化を承認しながら、審議会で強硬な反対姿勢をとったのは説明がつかない。検討会では、民主的議論に押し切られたが、審議会では政治力を使って逆転できた、ということだろうか。
なぜ、日本医師会はそこまでしてカルテ開示法制化に反対するのか。医師会代表委員の意見を傍聴していると、情報を隠すことで保とうとする空虚なパターナリズム(父権主義)に基づく傲慢さと、患者に人権を与えると医療裁判が増えるという本末転倒の誤解によるものだ、ということに気付く。日本医師会は「確かにカルテ開示は大切だ。しかし、これからはガイドラインを策定し、自主的にカルテを開示していく。だから法制化は不要だ」とし、1月12日に「診療情報提供に関するガイドライン」中間報告を発表した。それにあわせるように、2月17日に国立大学付属病院における診療情報の提供に関する指針(ガイドライン)が示され、今年9月22日には、東京都が都立病院における診療情報の提供に関する指針(ガイドライン)」を定めた。
しかし、ガイドラインは法律に代わり得ない。官公庁が「これからは自主的に公開するから情報公開法は不要」と言っても、誰も納得しないだろう。法律というのは、職業や立場を超えて、全ての人の関わりの中で共有されるべきものだ。ところがガイドラインというのは、患者・市民を抜きにした、あくまでも医師のための対処マニュアルに過ぎない。日本医師会のガイドラインが遺族を対象にせず、中身の甘いものであることは予想できたが、レセプトで遺族への開示を認めた国の国立大学付属病院ガイドラインまでもが「患者の遺族に対する診療情報の提供は、開かれた医療を推進していくためには重要であるとの認識を持っている。しかし、本ガイドラインによる診療情報の提供は、患者と医療提供者間での診療情報の共有と患者の医療への積極的参加による医療の質の向上を目的としているので、ここでは扱わないこととする。今後、遺族に対する診療情報提供に関しては、何らかの方策を講じていくべきだろう。」と、逃げたのは理に合わない。遺族を対象外にするのは「原子力発電所の情報は公開するが、事故が起こったときは公開しない」という論理と同じではないか。さらに、東京都は個人情報保護条例によって子どもが死んだ場合の親への開示を認めているのに、ガイドラインでは対象としていない。これまで、医療界の無法地帯化を思わせる事件が多発してきたように、「医療界だけは治外法権だ」という勘違いがいまだにあるのだろうか。
日本医師会とは別に、一般の医師でも、法制化を不要と考える人がいる。患者にわかりやすく情報を伝えようとインフォームドコンセントの理想型としてのカルテ開示を誠実に実践している医師であるほど、法制化の必要を感じないようだ。このような良心的でプロ意識を持った医師が増えてほしい。しかし、彼らが一つ忘れていることは、全ての医師が良心的で勉強熱心ばかりではないということだ。良心的だと自負する医師達が法制化に反対するなら、悪質で不勉強な医師がいるという患者の訴えにも真摯に耳を傾け、その闇の部分の問題解決への責任も担って欲しいと思う。裁判は決して患者側の誤解に基づいて提訴されているのではない。それは、実際の医療裁判の中身を知ればわかる。そして、そもそも情報公開こそが、仕事をする人たちの悪質な部分やいい加減な部分を改善させる力を持っていることを忘れてはならない。法制化は、社会的にはほんの一部でしかない弱者や被害者を守るためにこそ施行されるべきものではないだろうか。
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